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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    第19回 連載「フォークランド紛争小咄」パート4
    アルゼンチンの無血フォークランド侵攻計画

    文:nona

    今回から連続で「陸戦中心のフォークランドまとめ記事」となります。

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    http://www.revistanaval.com/fotonoticia/20120514-110010-malvinas-30-anos-despues-2
    戦車揚陸艦内のVPVT-7。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その展開基地と傾向

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     前回「終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳」では、昭和20年9月1日時点における日本海軍航空隊の保有機数と機種別の統計情報を紹介した。

     引続き今回は、各基地においてどんな機体が何機残存していたかを具体的に紹介したい。

     なお、原典となる資料と出典図書は前回と同じである。これも前回同様、全部で6ページ分にわたる長文の資料であるため、内訳が特に興味深い基地を加賀谷の主観で抜粋し、それぞれに解説を加えている(掲載は基本的に都道府県別。北から南の順)。

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    第18回 イベントレポート「横田基地日米友好祭2015」

    文・写真:nona

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     去る9月20日、横田基地日米友好祭を見学して参りました。地上展示の豪華さは自衛隊の基地とは段違い。なんとE-3セントリー早期警戒管制機やオスプレイ輸送機を内側から見学できるのです。

     横田基地の前身は旧日本陸軍の「多摩飛行場」であるそうです。多摩飛行場は、陸軍立川飛行場の補助飛行場として、1940年に開設されました。地元の町の名前から「福生飛行場」とも呼ばれます。[1]戦時中は航空機の試験に使用されたそうで、鹵獲機や輸入機の比較試験、100式司偵による北京東京間の長距離試験に使用された、とのことです。

     一方のアメリカ軍は、米軍極東地図局が作成した地図中の「YOKOTA」から横田飛行場と称し、この名称が現在まで使用されています。[2]

    開設時は立川飛行場の付属扱いでしたが、ジェット機時代となると、滑走路の延長ができない立川飛行場に代わる米軍の一大拠点となります。昭和35年には3350mの滑走路に延長され、ほぼ現在の姿に至ります。[2]

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     ちなみに狭山丘陵(トトロの森で有名なところです)の周辺は、横田基地に限らず飛行場が多いのが特徴です。日本航空発祥の地である所沢飛行場の跡地もあります。かつては飛行場に最適な場所だったのかもしれません。

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    第17回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 3
    フォークランド紛争と前線滑走路

    文:nona

    今回はフォークランド紛争中に使用された前線滑走路を紹介いたします。


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    http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/harrier-forward-operating-base-falkland-islands/
    東フォークランド島・サンカルロス橋頭堡の前線滑走路

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    第16回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 2
    スタンレー飛行場攻防戦と決死の輸送作戦

    文:nona

     戦時下の飛行場といえば「初撃で壊滅」という場合も「地上部隊に占領されるまで機能し続けた」というケースも存在します。今回は「後者」にあたる東フォークランド島「スタンレー飛行場」を巡る戦いを解説いたします。


    ■開戦前夜のフォークランド飛行場■

     1973年、ポートスタンレーにほど近い競馬場(ほぼ牧草地)にスタンレー飛行場が開設されます。アルゼンチン・イギリス双方の出資で建設され、当初は720m、開戦直前には1200mまで拡張されています。[1]

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    http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-port-stanley-part-1-pre-conflict/

    1973年のスタンレー飛行場


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    スタンレー飛行場の所在

     このスタンレー飛行場ですが、競馬場時代の1966年、ハイジャック機が強行着陸する事件がおきています。[2]犯人は、フォークランド諸島のイギリス領有の不当性を訴えるアルゼンチン人のジャーナリストと、彼に率いられたアルゼンチンの労働者たちでした。蜂起の理由はアルゼンチンの不況や、 サッカー・ワールドカップにおけるアルゼンチン対イングランド戦の結果が、労働者たちを焚き付けた為、とされています。

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    http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-port-stanley-part-1-pre-conflict/

    ハイジャックされたCD-4旅客機


     スタンレーへ降りたハイジャック犯はアルゼンチン国旗を掲げ、自国の領土であることを宣言します。しかし、イギリス駐在海兵隊員と、武装した島民に囲まれてしまい、翌日に投降しています。この事件でアルゼンチン・イギリス政府間に不信感が生まれたようです。一方島民は、ハイジャック犯へ食料や防寒具を提供するなど、それほど反感がなかったことが伺えます。

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    第15回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 1
    アルゼンチンの新旧潜水艦戦記 後編

    文:nona

     後編はアルゼンチンが保有していた
    209型潜水艦の解説です。

     前回お伝えしたように、騒音問題のため1番艦サルタの活動はほとんど記録がありません。2番艦サンルイスはフォークランドの海底に潜み、記録では最低2回の待ち伏せ攻撃を実施しています。

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    http://www.taringa.net/posts/info/15425782/Submarino-nuclear-Argentino.html
    フォークランド紛争を戦った、アルゼンチン海軍の209型潜水艦サンルイス

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    第14回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 1
    アルゼンチンの新旧潜水艦戦記 前編

    文:nona

     今回から連載で1982年のフォークランド紛争中の「小さな戦い」を紹介して参ります。パート1はアルゼンチン海軍の潜水艦の行動記録です。

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    http://mannaismayaadventure.com/2011/02/11/

     当時アルゼンチン海軍は2隻の209型潜水艦と2隻の旧式潜水艦を配備しておりましたが、実際に行動できたのはたった2隻。それらも不具合や旧式化のためイギリスの原子力潜水艦のように「目立った活躍」はありませんでしたが、通常動力潜水艦の特性を活かした「目立たない活躍」によってイギリスを悩ませています。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     太平洋戦争終戦の時点で、日本海軍航空隊がどれだけの航空機を保有していたのか、その具体的な数字に関心を持つ方は多いのではないだろうか。もしポツダム宣言を受諾せず戦争が継続していた場合、来るべき本土決戦に海軍航空隊がどれだけの兵力を準備できたか?という疑問は、(その是非はともかく)本土決戦が発生した場合のシミュレーションを行う上で不可欠な情報の一つであろう。

     その回答となるのが「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料である。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものである。原本は英語であり、防衛省防衛研究所が現在も保管しているとされるが、日本語訳も存在しており、本稿では『海軍飛行科豫備学生・生徒史』(海軍飛行科豫備学生・生徒史刊行会編。昭和63年刊)収録分からその内容について解説したい。

     なお、この資料は基地毎に保管機種とその機数を列挙した体裁になっているが、出典図書で6ページ分にも及ぶ長文の内容であるため、とても全文は掲載できない(決して入力が面倒だから嫌だという理由では…。おや、誰か来たようだ?)

     よって今回は、9月1日時点で「内地(朝鮮・台湾を含む)」に存在した海軍機の合計数と機種ごとの数字を抜粋し、六つの大分類に応じて集計した。

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    第13回 「将来ネットワーク型多目的誘導弾システム」

    文:nona

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    http://www.mod.go.jp/trdi/research/gaibuhyouka/pdf/F-MPMS_24.pdf p4
    将来ネットワーク型多目的誘導弾システムの研究試作品。資料ファイルによると略称はF-MPMS。


    ■研究目的■

     将来ネットワーク型多目的誘導弾システムとは現在研究中の96式多目的誘導弾の後継装備です。技術研究本部によると研究目的は「目標情報の継続的な取得が困難な状況下において発射し、多数の目標を同時・自動的に捜索・識別し、自律的に目標を撃破するとともに、目標地域の戦況及び戦果を確認するために使用する将来ネットワーク型多目的誘導弾システムに関する研究を行い、技術資料を得る。」とのこと。[1]2008年に研究がスタートし、2011年からは試射などの試験も実施されています。

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    http://www.mod.go.jp/trdi/research/gaibuhyouka/pdf/F-MPMS_24.pdf p3

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    http://www.mod.go.jp/trdi/research/gaibuhyouka/pdf/F-MPMS_24.pdf p5

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    第12回 日本軍と冷蔵庫 パート2

    文:nona

    ■陸軍における冷凍食品■

     海軍に比べると陸軍では冷凍食品の導入が遅れていました。野営と行軍を繰り返す陸軍は冷凍の維持が困難であったこと、1918年から1922年のシベリア出兵の経験から(炊飯)大陸の寒冷地で解凍が困難になる状況を想定してのことでしょうか。1932年の時点で冷凍魚を副食としたのは内地では北海道、東京、京都、福岡の部隊のみで、その中でも冷蔵施設を持っていたのは北海道だけでした。北海道以外ではその日に必要な量を業者の冷凍庫から運び込ませていました。[1]

     しかし陸軍糧秣本廠の川島四郎(終戦時に少将)は「将来の戦場と冷凍魚は切っても切れぬ間柄にあり平時より冷凍魚の使用に慣熟して居らねば、戦争に当たって急に周章せねばならぬ自体となる」とのことで、寒冷地での冷凍魚調理法を団体炊事(給食)の専門誌「糧友」に公開しています。また同氏の1940年の講演会では「第一次上海事変(1932年)では野戦用の組立式冷蔵庫が登場しており、現在(1940年当時)では金属資源節約のため缶詰に変わって冷凍魚が戦場に送られている[1]」としています。

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    「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04011543700、昭和8.3.16~8.3.30 「満受大日記(普) 其5」(防衛省防衛研究所)」糧食品追送の件

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