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軍事系まとめブログ

軍事・防衛ネタを中心としたおーぷん2ちゃんねる、ふたばちゃんねる等のまとめブログです。 政治的議論に深入りせず知識欲を満足させるようなブログを目指します。

    第22回 観艦式事前航海で急患発生? 横須賀に救難ヘリ飛来で周囲は騒然

    文・画像:nona



     去る10月12日、私は横須賀のヴェルニー公園を歩いていたところ、海自の基地にヘリコプターが降りる様子を目撃しました。突然の事態に周囲は騒然。実は練習艦「しらゆき」から、急患を乗せ飛んできたヘリコプターだったのです。

     上の動画のUH-60J救難ヘリコプターが飛来したのは12日の14時50分ごろ。場所は海上自衛隊横須賀基地の地方総監部前。この日は横須賀で空母ロナルド・レーガンの一般公開や、観艦式事前公開に参加した護衛艦の見学のため、私はたまたま横須賀におりました。(こちらは別記事で公開の予定です)

     空母の見学を終え、ヴェルニー公園から横須賀基地を撮影すると、なにやら不思議な光景が。

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    第21回 連載「フォークランド紛争小咄」パート6
    アルゼンチン軍の防衛体制

    文:nona

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    http://www.elcorreo.com/vizcaya/rc/20120203/mundo/islas-discordia-201202030917.html
    当時のアルゼンチン軍兵士。

     1982年4月2日、アルゼンチンによるフォークランド占領で、イギリスはアルゼンチンの想定以上に態度を硬化させました。サッチャー首相は4月6日に戦時内閣を設置。さらに予備役の動員や機動艦隊の編成を始めたことで、アルゼンチンもイギリスが本気であることに気付き、防御態勢の見直しが始まりました。[1]

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    第20回 連載「フォークランド紛争小咄」パート5
    ロサリオ作戦とイギリス軍の抵抗

    文:nona

    前回から続く、アルゼンチンによるフォークランド上陸作戦の第二弾です。

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    https://aquellasarmasdeguerra.wordpress.com/2012/04/29/algunas-armas-utilizadas-en-la-guerra-de-malvinas/
    スタンレーにアルゼンチン国旗を掲げる兵士

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    第19回 連載「フォークランド紛争小咄」パート4
    アルゼンチンの無血フォークランド侵攻計画

    文:nona

    今回から連続で「陸戦中心のフォークランドまとめ記事」となります。

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    http://www.revistanaval.com/fotonoticia/20120514-110010-malvinas-30-anos-despues-2
    戦車揚陸艦内のVPVT-7。

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    終戦時の日本海軍航空隊 その展開基地と傾向

    文:加賀谷康介(サークル:烈風天駆)

     前回「終戦時の日本海軍航空隊 その保有機数と内訳」では、昭和20年9月1日時点における日本海軍航空隊の保有機数と機種別の統計情報を紹介した。

     引続き今回は、各基地においてどんな機体が何機残存していたかを具体的に紹介したい。

     なお、原典となる資料と出典図書は前回と同じである。これも前回同様、全部で6ページ分にわたる長文の資料であるため、内訳が特に興味深い基地を加賀谷の主観で抜粋し、それぞれに解説を加えている(掲載は基本的に都道府県別。北から南の順)。

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    第18回 イベントレポート「横田基地日米友好祭2015」

    文・写真:nona

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     去る9月20日、横田基地日米友好祭を見学して参りました。地上展示の豪華さは自衛隊の基地とは段違い。なんとE-3セントリー早期警戒管制機やオスプレイ輸送機を内側から見学できるのです。

     横田基地の前身は旧日本陸軍の「多摩飛行場」であるそうです。多摩飛行場は、陸軍立川飛行場の補助飛行場として、1940年に開設されました。地元の町の名前から「福生飛行場」とも呼ばれます。[1]戦時中は航空機の試験に使用されたそうで、鹵獲機や輸入機の比較試験、100式司偵による北京東京間の長距離試験に使用された、とのことです。

     一方のアメリカ軍は、米軍極東地図局が作成した地図中の「YOKOTA」から横田飛行場と称し、この名称が現在まで使用されています。[2]

    開設時は立川飛行場の付属扱いでしたが、ジェット機時代となると、滑走路の延長ができない立川飛行場に代わる米軍の一大拠点となります。昭和35年には3350mの滑走路に延長され、ほぼ現在の姿に至ります。[2]

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     ちなみに狭山丘陵(トトロの森で有名なところです)の周辺は、横田基地に限らず飛行場が多いのが特徴です。日本航空発祥の地である所沢飛行場の跡地もあります。かつては飛行場に最適な場所だったのかもしれません。

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    第17回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 3
    フォークランド紛争と前線滑走路

    文:nona

    今回はフォークランド紛争中に使用された前線滑走路を紹介いたします。


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    http://www.thinkdefence.co.uk/2012/04/harrier-forward-operating-base-falkland-islands/
    東フォークランド島・サンカルロス橋頭堡の前線滑走路

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    第16回 連載「フォークランド紛争小咄」パート 2
    スタンレー飛行場攻防戦と決死の輸送作戦

    文:nona

     戦時下の飛行場といえば「初撃で壊滅」という場合も「地上部隊に占領されるまで機能し続けた」というケースも存在します。今回は「後者」にあたる東フォークランド島「スタンレー飛行場」を巡る戦いを解説いたします。


    ■開戦前夜のフォークランド飛行場■

     1973年、ポートスタンレーにほど近い競馬場(ほぼ牧草地)にスタンレー飛行場が開設されます。アルゼンチン・イギリス双方の出資で建設され、当初は720m、開戦直前には1200mまで拡張されています。[1]

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    http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-port-stanley-part-1-pre-conflict/

    1973年のスタンレー飛行場


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    スタンレー飛行場の所在

     このスタンレー飛行場ですが、競馬場時代の1966年、ハイジャック機が強行着陸する事件がおきています。[2]犯人は、フォークランド諸島のイギリス領有の不当性を訴えるアルゼンチン人のジャーナリストと、彼に率いられたアルゼンチンの労働者たちでした。蜂起の理由はアルゼンチンの不況や、 サッカー・ワールドカップにおけるアルゼンチン対イングランド戦の結果が、労働者たちを焚き付けた為、とされています。

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    http://www.thinkdefence.co.uk/2013/02/that-famous-runway-at-port-stanley-part-1-pre-conflict/

    ハイジャックされたCD-4旅客機


     スタンレーへ降りたハイジャック犯はアルゼンチン国旗を掲げ、自国の領土であることを宣言します。しかし、イギリス駐在海兵隊員と、武装した島民に囲まれてしまい、翌日に投降しています。この事件でアルゼンチン・イギリス政府間に不信感が生まれたようです。一方島民は、ハイジャック犯へ食料や防寒具を提供するなど、それほど反感がなかったことが伺えます。

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